10代の頃に書いた詩(ポエムノート)の中から『ひとかけらの自然』と『身震い』の2編を選んでブログに投稿した後に、初老になって自作詩を読み返した感想を書いてみようと思います。
ポエムノートに書かれた若かりし頃の痛いポエムをブログに投稿するという苦行を最後までやり遂げたいと思っていますので、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。
『ひとかけらの自然』自作詩87編目
私は自然に触れつづけて、できれば自然になりたい。
私は路傍で子供の成長を見守るようにそびえ立つ木でよかった。
私は川のほとりで一瞬のきらめきを放つ花でよかった。
私は邪魔者のようにむしり取られる畑の雑草でもよかった。
私は泣いた。泣くだけ泣いた。私が泣いたその姿も自然のひとかけらに違いなかった。
『身震い』自作詩88編目
生きているだけで、これほど辛いのに、世の中には少しでも長く生きたいと願う人がいることに身震いする。そんな人がけっこうな数いるということを考えただけで、どうしても体が震えてしまう。その事実ひとつだけで世の中の広さを知る。
自作詩を読み返した感想
まずは、自作詩『ひとかけらの自然』を初老になってから読み返した感想を書いてみようと思います。
これは18歳の頃に書いた詩(ポエム)です。18歳から20歳くらいまでの詩は暗くて考え込んでいるような詩が多いですね。色々と忙しくて辛かったんだと思います。社会に出て、生きづらさみたいなものを私なりに感じていたんでしょうね。現在でも感じていますが笑。
次に、自作詩『身震い』を初老になってから読み返した感想を書いていきます。
これは19歳の頃に書いた詩(ポエム)です。先ほどの詩と同じく、自身の生きづらさを書いた詩だと思います。現在でも長生きしたいとは思っていないので、そこは変わっていないですね。
今回の2編は、読んでいて気持ちが沈んでしまう詩だったので、次回はなるべく明るくなる詩を公開しようと思います。覚えていたらですけど笑。
自作詩を読み返した感想はこれくらいにしておきます。毎週というわけではありませんが、金曜日の18時に、10代の頃に創作した詩(ポエム)を公開するようにしますので、私の若かりし頃の拙く痛い詩に興味のある方はブログに訪問して頂けると嬉しいです。
それではまた。
最後に10代の頃に書いた自作詩の記事のリンクを貼っておきますので、併せて読んで頂けると嬉しいです。
▶10代の頃に書いた詩・ポエム(89編目、90編目)を「10代の頃に書いた詩『ただ前だけを見て進め』と『この街』をブログに公開」で公開しています。
▶10代の頃に書いた詩・ポエム(85編目、86編目)を「10代の頃に書いた詩『邪魔をして狂わせて』と『誰も立ち止まりはしない』をブログに公開」で公開しています。