10代の頃に書いた詩(ポエムノート)の中から『ひきこもり』を選んでブログに投稿した後に、初老になって自作詩を読み返した感想を書いてみようと思います。
ポエムノートに書かれた若かりし頃の痛いポエムをブログに投稿するという苦行を最後までやり遂げたいと思っていますので、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。
『ひきこもり』自作詩108編目
外から眺める世界はどんな感じだったか、今はもう思い出せない。中から眺める世界はいつもと変わらず、不必要なまぶしい光に満ちている。
いつでも笑顔でいるのは苦しいから、いつでも笑顔でいられるように、僕は心を閉ざした。
夢から覚めた人は、自分の才能を自分で潰すことが上手くなる。だから、僕は気づかないふりをした。
報われないなんて格好悪いから、どうにかして、自分の一生懸命さを隠そうとした。
人に認められるためには、たとえ自分の本意でないことでもしなければならない。そう思うと涙が出た。だから、僕は人に認められるということを放棄した。
沈みゆく夕日は僕の心。登りゆく朝日も僕の心。今のところ、それだけが確かなことだと、外を眺めながら僕は思った。
自作詩を読み返した感想
自作詩『ひきこもり』を初老になってから読み返した感想を書いてみようと思います。
この詩は16歳の頃に書いた詩です。この時期に書いた詩で似たような詩があったような気がするので、きっと、この時期はこんな感じで思いにふけっているのが好きだったんでしょうね。まぁ、初老になってもそれほど変わっていないと思いますが笑。
家にひきこもった経験はないので、おそらく、これは精神的なひきこもりのことを書いているのだと思います。何かしらの生きづらさを感じていたから、こんな詩を書いたと思いますが、何が辛かったのかは今となっては思い出せません笑。
それよりも「ひきこもり」という問題が30年前にもあったことに驚きましたね。何となく2000年代に入ってからの問題だと感じていたので。現在無職の私も他人が見たらひきこもりに見えるのかな、なんて考えたら怖くなってきました。外に出て働こうかな笑。
10代の頃に書いたということもあり、拙い詩ばかりなので、ブログに公開するのをためらってしまいます。自分の才能の無さに愕然としています。
自作詩を読み返した感想はこれくらいにしておきます。毎週というわけではありませんが、金曜日の18時に、10代の頃に創作した詩(ポエム)を公開するようにしますので、私の若かりし頃の拙く痛い詩に興味のある方はブログに訪問して頂けると嬉しいです。それではまた。
最後に10代の頃に書いた自作詩の記事のリンクを貼っておきますので、併せて読んで頂けると嬉しいです。
▶10代の頃に書いた詩・ポエム(109編目、110編目)を「10代の頃に書いた詩『刻み込むように』と『私を思い出すように』をブログに公開」で公開しています。
▶10代の頃に書いた詩・ポエム(107編目)を「10代の頃に書いた詩『同類』をブログに公開」で公開しています。