ついに公開した自作詩も100編目となるので、今日は10代の頃に書いた詩ではなく、20代の頃に書いた詩をポエムノートの中から選んでブログに投稿してみようと思います。その後に、いつものように初老になって自作詩を読み返した感想を書きますね。
ポエムノートに書かれた若かりし頃の痛いポエムをブログに投稿するという苦行を最後までやり遂げたいと思っていますので、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。
『丸い月』自作詩100編目
蒸し暑い物置のようなこの部屋で、当たり前のように隣で眠る人がいる。
私は静かにゆっくりと起き上がり、真夜中の散歩へと繰り出した。
川沿いには無数の名も知らない木が申し訳なさそうに立っている。
いつから自然は人間に遠慮をするようになったのだろう。
夏の湿った風が吹きつけ、名も知らない木の葉がヌメリとゆれ、私は顔をしかめた。
川では捨てられたゴミとの共存を試みるカモが疲れた体を休めている。
私は延々と続く真っ暗な川沿いの道を息の続くかぎり駆けた。
ゴミとの共存に辛うじて成功した鯉が狂ったように川面を跳ねている。
鯉が真っ直ぐ跳ねたその先に、ぽっかりと丸い月がにじんで見えた。
自作詩を読み返した感想
自作詩『丸い月』を初老になってから読み返した感想を書いてみようと思います。
22歳の頃に書いた詩なので、おそらく仕事のことで悩みを抱えていた時期だと思います。ストレスでイライラして眠れない日は、よく夜中に散歩をしていました。たまに狂ったように全力疾走もしていたので、その頃の生活が反映された詩だと思います。
おそらく、川は社会で、木やカモや鯉は私のことなんだと思います。ぽっかりとした丸い月がにじんで見えたのは、全力疾走した直後だったからですかね? それとも、泣いていたからかも。どちらにせよ、生きづらさを表現したかったのでしょう。知らんけど。
まったく記憶にない詩でも、詩を読むと、当時の生活がありありと脳裏によみがえるので不思議です。懐かしいなぁ。20代前半に書いた詩は少ないながらもあるので、たまに投稿していくつもりです。
自作詩を読み返した感想はこれくらいにしておきます。毎週というわけではありませんが、金曜日の18時に、10代の頃に創作した詩(ポエム)を公開するようにしますので、私の若かりし頃の拙く痛い詩に興味のある方はブログに訪問して頂けると嬉しいです。それではまた。
最後に10代の頃に書いた自作詩の記事のリンクを貼っておきますので、併せて読んで頂けると嬉しいです。
▶10代の頃に書いた詩・ポエム(101編目)を「10代の頃に書いた詩『残された日々』をブログに公開」で公開しています。
▶10代の頃に書いた詩・ポエム(99編目)を「10代の頃に書いた詩『命』をブログに公開」で公開しています。